2006-04-08 [Sat]
■ 特急車両で西へ
今春シーズンの18きっぷは、3月の鳥取への往復で2日分、先週の関西への往復で2日分を使用済み。今週末は残り1日分の消化試合です。当然日帰りですが。季節柄、茨城方面へ花見というのも考えましたが、諸般の事情で西を目指すことに。
と言うわけで、東京駅7:24発の伊東行521Mで出発。3月改正での東海道線電車の211系・E531系への統一とSUICAグリーン券サービス開始の絡みで行く末が危ぶまれていましたが、どっこい生き残ってます、185系使用の普通列車。
■ 東海道刈谷駅
熱海で少々間が空くものの以降は順調な乗り継ぎで浜松・豊橋と移動、豊橋では米原行に接続と、更に西を目指すにはナイスな乗り継ぎですが、あまり遠くまで行っても東京に戻れなくなることでもあり、刈谷で途中下車。南口では、例の耐震強度偽装問題により「名鉄イン刈谷」が絶賛解体中。いや別にこれを見たかったわけではなく、線路沿いに駅東方を目指します。
刈谷駅東方の名鉄三河線との交差部付近は、1956(昭和31)年6月25日未明、「春の海」の作曲で知られる筝曲家・宮城道雄が夜行急行「銀河」から転落、死亡する事故のあったところ。なにやら慰霊碑らしきものが現場付近にあることは以前より車窓から確認済みでしたが、足を運んだことはこれまで皆無だったもので。
慰霊碑というか供養塔は、交通児童遊園の駐車場の傍らに静かに佇んでいます。道路側には特に案内標識は無いので、予備知識に従い三河線がオーバークロスする箇所へ接近するつもりでアプローチするとよろし。ちなみに、写真右手前のは単なる標柱であり、左奥の三重宝塔が本物の供養塔なので念のため。
■ 依佐美送信所跡
刈谷と言えば、やはり依佐美送信所。昨年2度訪問済みですが、跡地の整備状況を確認しとかねば。以前の訪問時は東刈谷や小垣江を利用したのですが、どのみち30分程歩く羽目になるので、刈谷から直接アプローチしても大差無かろうと、供養塔から直接歩いて行くことに。結局30分近く掛かったので、最寄り駅は刈谷・東刈谷・小垣江のいずれもアリということに。東刈谷〜刈谷間に建設中の新駅が開業すれば、少しは近くなるかもしれませんが。
保存鉄塔の傍に、送信所の建物を模した資料館らしきものができており、各種機械類が中に置かれているのが垣間見えます。展示施設ができるのは喜ばしいことですが、と言うことは、送信所の建物自体は解体撤去される公算が大ということ(建物を保存するなら、機器類もその内部で保存展示すればよいのだから)。事実、建物のほうは内装の撤去作業の真っ最中でありました。何でもかんでも残せというのは無理かもしれませんが、なんとも惜しいことです。
強風吹き荒ぶなかを歩いて小垣江へ着いてみれば、駅舎は消えホーム上に券売機と自動改札機を置いて無人化されておりました。東側に新たに整備された駅前広場が無闇にだだっ広くて空しいぜ。