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なりたま通信所業務日誌


2006-12-02 [Sat]

今日は何の日

これまでの俺の行動パターンを見るに、2月11日に内之浦、8月6日に道川、11月23日に高萩と、何かの記念日に縁の地を訪れる例が散見されます。逆に言えば、週末や祝日に何かの記念日が被っている場合、関連する場所に俺が行く可能性が高いということ。というわけで、本日俺が出掛ける先(これを書いてる時点で既に行ってきた後ですが)を当ててみよう。正解しても何も出ませんが。

船橋送信所跡

船橋無線塔記念碑 太平洋戦争開戦直前の1941(昭和16)年の今日、大日本帝國海軍は開戦日を12月8日と指示する暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二○八」を発信した。その送信に供された施設として、巷では針尾送信所とか依佐美送信所がよく引き合いに出されますが、記録の残った史実としては、南雲機動部隊に向けて送信を行ったのは船橋送信所というのが正解。針尾と依佐美は過去に訪問済みなれど、肝心の船橋が未踏とあれば、いっそのことこの日付に行ってみよう、と数日前に急遽思い立った次第。もちろん、記念碑以外何も残っていないのは承知のうえ。

総武線で船橋に出て、東武野田線に乗り換え塚田で下車。徒歩10分程の行田公園が、かつての無線送信所跡の一部。さて記念碑は……といっても、見ようによっては「負の遺産」な施設の碑が派手に宣伝されるわけゃないわな。円形の敷地跡の中心部、石垣上に1m程のシンプルな碑と、壁面に埋め込まれた解説板の他にはさしたる案内標識も無く、静かに佇んでおりました。時折通り掛ける通行人も碑の前に足を止めることも無く、こいつをじっくり眺めたり何枚も写真を撮ったりしていた俺は結構な不審者だな。

敷地跡外周を巡る円形の道路を歩いてみる(←ヒマな奴)。俺の短い足では、一周30分程。西側を武蔵野線がかすめており、高架をくぐって外周を辿ろうとすると、地上に降りた線路に弾かれるように円周外へサヨウナラ。そのまま船橋法典まで歩いて、武蔵野線経由で帰路に。